教育バウチャー制度

大阪府の橋下徹知事は4日、府内の高校の公立、私立間の授業料の格差を減らすため、保護者に差額分を支給する「教育バウチャー(クーポン券)制度」の導入を検討していることを明らかにした。

 同日午前、報道陣に対し「大阪の高校でバウチャーをやり、お金がなくても、基本的に同じ料金で好きな私立、公立に行けるようにしたい」と述べた。

 府私学課によると「教育バウチャー制度」は、公立で約15万円、私立で約60万円となっている授業料負担を均等にするのが狙い。

 経営に関する情報公開や教員の給与水準抑制などの条件を満たした私学を対象に、子どもを通わせる保護者に差額分をクーポン券などで支給する案が検討されているという。

 橋下知事は「公立は甘えている。授業料格差をなくすことで、公私間で競争させ、甘えたところは淘汰(とうた)する」と意欲を示し、「財源の問題もある」と、導入方法を慎重に検討するとした。
大阪府の橋下徹知事は4日、「府民の感覚を冒涜(ぼうとく)するような校長がはびこる公立高校は抜本的な改革が必要だ」と、府立高の校長らへの批判を報道陣の前で展開した。ある報道機関が実施したアンケートで、難関大学への進学に重きを置く専門学科を府立高10校につくる府教委の計画に、府立高の校長の7割が「反対」と答えたことに怒った。

 橋下知事は「だめな公立はもうね、廃校」「(公立も私立も)甘えたところは淘汰(とうた)する、きちんとした形をとる」とも発言。公立高と私立高との競争の土台を整えるため、両者の授業料負担を同じにする制度の検討を、担当部署に指示したことを明らかにした。具体策として、私立高に子どもを通わせる家庭に公立高の授業料との差額を支給する「教育バウチャー制度」の導入に触れたが、「何百億かかるらしい。なかなか難しいところがある」とも話した。

— posted by サイト管理者 at 04:54 pm  

毎月のローン返済や賃料収入

<東京都中野区の独身男性会社員(35)の場合>・知人から「値下がりしているから買い時だ」と投資用マンションの購入を勧められた。・株式やREITは市場環境が悪化しており、投資マンションの賃料収入に魅力を感じている。・不動産投資の注意点を教えてほしい。

ローンや管理費用に注意
 金融商品と比較して、資産所有と賃料収入の魅力からマンション投資を考える人も多いですが、ローンを借りる場合は、大きく次の視点で注意が必要です。

 まず、ライフプラン上、独身時代にマンション投資でローンを抱えると、将来、結婚などで住宅を購入しようとする際、既存のローンがあるため、住宅ローン借入可能額が下がることが考えられます。そうすると、希望の住宅が取得できなくなるかもしれません。人生の変化に対応できるよう、売却しやすいかどうかも注意が必要です。

 また、投資用のローンは変動金利タイプが一般的で、金利上昇リスクもあります。

 次に、収支は、毎月のローン返済や賃料収入といった単年度の数字に目を奪われず、長期的に考えることが重要です。

 維持・管理のためのコストとして、ローン完済までの金利負担や固定資産税のほか、賃貸に出すための仲介手数料やマンションの管理費・修繕積立金、不動産管理会社へ委託料、空室時の保証制度のコスト、リフォーム費用などがかかります。総負担を確認した上で、今後古くなるマンションの資産価値に見合うか慎重に考えることが必要です。

— posted by サイト管理者 at 06:26 pm  

納付期間が全然足りない

東京都江東区の派遣社員、岩崎森太郎さん(69)は、中学卒業後にガラス製造工場に就職、その後10社以上で働いた。だが年金保険料の納付期間が足りず、無年金だ。11年前から派遣社員として、ビル清掃で生計を立てている。

 午前5時に起きて土曜も出勤しているが、月収は約12万円。1人で暮らすアパートの家賃3万6000円や光熱費、介護保険料などを差し引くと、手元には約6万円しか残らないという。

 94年から6年間、ほぼ寝たきりだった母親の介護を続けみとった。この間は働けず収入はゼロ。約6年前、社会保険事務所で受給申請をしようとしたが、窓口で職員は「納付期間が全然足りない」と手を振った。保険料減免対象となり得る期間が相当あったとみられるが、「制度は全く知らなかった」という。

 毎夕、弟2人の住む区内の団地に出向き、知的障害と聴覚障害を抱える末弟のため食事を作る。余裕はないが、生活保護を申請するつもりはない。「今後のことは不安だが、自分の責任でもある。製造業は派遣切りが問題化しているが、働けるうちは働きたい。死ぬか生きるかになれば別だが、まだ生活保護を受けるのは忍びない」と話している。

— posted by サイト管理者 at 07:39 pm  

西都市の寺崎遺跡

明治9年(1876年)旧宮崎県は一旦鹿児島県に併合され、明治16年(1883年)日向国とほぼ領域を一致させる宮崎県が再置されたが、諸県郡のうち現在の志布志市・大崎町と曽於市の一部の区域は南諸県郡(間もなく東囎唹郡と統合され囎唹郡となり大隅国に編入)として鹿児島県に残った。


[編集] 国府・一宮など
国府は色葉字類抄によると、児湯郡にあった。現在の西都市の寺崎遺跡と推定されている。

延喜式神名帳には以下の小社4座4社が記載されている。この4社は「日向四社」と呼ばれ、日向国内で特に格式の高い神社とされている。

児湯郡 都農神社(児湯郡都農町川北)
児湯郡 都萬神社(西都市妻)
宮埼郡 江田神社(宮崎市阿波岐原町)
諸県郡 霧島神社(論社4社)
一宮は都農神社、総社は都萬神社である。二宮以下は不詳であるが、都萬神社が二宮であるとする説もある。


[編集] 国司

[編集] 日向守
大津大浦 765年(天平神護元年)任官、左遷人事。
源重之
藤原保昌
藤原通憲(信西)
惟宗基言
以下は、武家官位

蒲池武久
明智光秀 1575年(天正3年)任官。
水野勝成(徳川家康の従兄弟 譜代大名)

[編集] 日向介・権介
三形王 782年(天応2年)任官、左遷人事。
藤原末茂 784年(延暦3年)任官、左遷人事。
百済王俊哲 787年(延暦6年)任官、左遷人事。

[編集] 日向掾・権掾
藤原乙縄 757年(天平宝字元年)任官、左遷人事。
藤原粟作 842年(承和9年)任官、左遷人事。

[編集] 守護

[編集] 鎌倉幕府
1197年 - 1203年 - 島津忠久
1280年 - ? - 北条久時
? - 1333年 - 北条氏

[編集] 室町幕府
1333年 - 1335年 - 島津貞久
1335年 - 1336年 - 細川頼春
1337年 - 大友氏泰
1338年 - ? - 島津貞久
1345年 - 1352年 - 畠山直顕
1353年 - ? - 一色直氏
1357年 - 1364年 - 一色範親
1375年 - ? - 島津氏久
1383年 - 1384年 - 大友親世
1384年 - ? - 今川貞世
1391年 - 1411年 - 島津元久
1411年 - 1425年 - 島津久豊
1425年 - 1470年 - 島津忠国
1470年 - 1474年 - 島津立久
1474年 - 1507年 - 島津忠昌
1507年 - 1515年 - 島津忠治
1515年 - 1519年 - 島津忠隆
1519年 - 1527年 - 島津勝久
1527年 - 1566年 - 島津貴久

[編集] 江戸時代の諸藩
天領:現宮崎市周辺(宮崎市佐土原町一帯を除く)、日向市、国富町、西都市北部
延岡藩(高橋元種→有馬氏→三浦明敬→牧野氏→内藤氏):現延岡市を中心とした県北一帯。飛地として、現宮崎市北部
高鍋藩(秋月氏):現児湯郡高鍋町周辺。飛地として、串間市周辺と宮崎市の一部。
佐土原藩(島津氏分家):現宮崎市佐土原町及び周辺地域一帯、西都市南部
飫肥藩(伊東氏):現日南市、南那珂郡、宮崎市南部、清武町
薩摩藩(島津氏):諸県郡等現宮崎県南部一帯
都城領主館 都城島津氏(北郷氏) :現都城市
人吉藩(相良氏):現宮崎県西部山間部
交代寄合の米良家の米良陣屋

[編集] 郡
臼杵郡
児湯郡
那珂郡
宮崎郡
諸県郡

[編集] 関連項目
三国名勝図会
令制国一覧
[隠す]表・話・編・歴旧国の一覧

畿内 山城 | 大和 | 河内 | 和泉 | 摂津 | 廃: 芳野監

東海道 伊賀 | 伊勢 | 志摩 | 尾張 | 三河 | 遠江 | 駿河 | 伊豆 | 甲斐 | 相模 | 武蔵 | 安房 | 上総 | 下総 | 常陸 | 古:| 総

東山道 近江 | 美濃 | 飛騨 | 信濃 | 上野 | 下野 | 岩代 | 磐城 | 陸前 | 陸中 | 陸奥(新) | 羽前 | 羽後 | 廃: 諏方 | 石背 | 石城 | 陸奥(旧) | 出羽 | 古: 毛野

北陸道 若狭 | 越前 | 加賀 | 能登 | 越中 | 越後 | 佐渡 | 古: 越

山陰道 丹波 | 丹後 | 但馬 | 因幡 | 伯耆 | 出雲 | 石見 | 隠岐 | 古: 丹

山陽道 播磨 | 美作 | 備前 | 備中 | 備後 | 安芸 | 周防 | 長門 | 古: 吉備

南海道 紀伊 | 淡路 | 阿波 | 讃岐 | 伊予 | 土佐

西海道 筑前 | 筑後 | 豊前 | 豊後 | 肥前 | 肥後 | 日向 | 大隅 | 薩摩 | 壱岐 | 対馬 | 琉球 | 廃: 多禰 | 古: 筑紫 | 豊 | 肥 | 熊曾

北海道 渡島 | 後志 | 胆振 | 石狩 | 天塩 | 北見 | 日高 | 十勝 | 釧路 | 根室 | 千島

了解いたしました。

— posted by サイト管理者 at 05:31 pm  

使用球場変更

[編集] 初優勝決定の日
1978年10月4日、ヤクルトは地元・神宮で中日ドラゴンズを相手に試合をした。ヤクルトの応援席であるライト側外野席には「国鉄スワローズ→サンケイアトムズ→ヤクルトスワローズ初優勝!! 29年間のご支援ありがとう」という旨の横断幕が既に試合前から掲揚された。そして圧倒的な9-0のリードで迎えた9回1アウト1塁から谷沢健一の打球がセカンドゴロからのゲッツーとなり、念願の地元胴上げで初優勝を達成したのである。

決定の瞬間、選手らが1塁ベンチから飛び出して広岡達朗監督を胴上げすると、興奮の余りに客席からグラウンドに飛び出したファンからも祝福の胴上げや拍手をし、優勝記念の表彰式どころの騒ぎではなくなっていた。この模様はフジテレビから全国に放送された。

更にバックスクリーンのスコアボードにもセ・リーグ参加の他5チームに対するお礼のコメントを書いた垂れ幕が掲げられた。

読売ジャイアンツ「セ・リーグの繁栄を今日まで築いてくれた伝統の巨人軍ありがとう」
阪神タイガース「熱心な浪速気質の声援に大きな刺激を受けました。阪神球団ありがとう」
中日ドラゴンズ「ナゴヤ野球のしぶとさがやっと神宮に育ちました。中日球団ありがとう」
広島東洋カープ「赤ヘル軍団の活躍が初優勝のよき刺激になりました。広島球団ありがとう」
横浜大洋ホエールズ「新球場(横浜スタジアム)進出でセ・リーグのイメージが一段と上がりました。大洋球団ありがとう」
阪神タイガースはその年、球団創設初の最下位だった。この前年までセ・リーグ6球団中、最下位シーズンの経験がなかったのは阪神だけであり、この1978年でセ・リーグの全球団(消滅した西日本パイレーツを除く)が優勝と最下位を経験したことになる。


[編集] 背番号17番
背番号17番は、スワローズのエースナンバーとして正統に受け継がれている。現在までの着用者は以下の6名。

宮地惟友
佐々木重徳
鈴木皖武
松岡弘
川崎憲次郎
川島亮

[編集] 開幕129試合連続得点
初優勝した1978年、ヤクルトは開幕戦から完封負けも0-0の引き分けもなしの記録を129試合続け、ついにシーズン最終戦(対広島)を迎えることになった。広島の先発はプロでは完投経験もなかった2年目の大野豊で、シーズン全試合得点の大記録達成は確実と思われた。ところがこの大野をヤクルト打線は打ち崩すことができずプロ入り初完封勝利を献上、あと一歩のところで記録を逃した。前年からの143試合連続得点は当時の日本記録。のちにシーズンを跨ぐ形の記録は更新されたが、1シーズン全試合得点の記録は2007年までまだ達成した球団はない。

なお、大野はその後ヤクルト戦を得意とするようになり、1998年に引退するまで通算31勝10敗(大野自身の現役通算成績は148勝100敗)、1985年から88年までは12連勝を記録した。


[編集] 1978年の日本シリーズ
詳細は1978年の日本シリーズを参照


[編集] 使用球場変更
1978年、ヤクルトは前身の国鉄時代から数えて29年目で初のリーグ優勝を決定し、日本シリーズに駒を進めた。しかし、神宮球場を本来使用するべきところだったが、この時期は東京六大学野球リーグ戦、東都大学野球リーグ戦と開催日が重複しているため、日本シリーズのナイター開催、あるいはその逆で学生野球のナイター開催を双方が提案したが折り合いが付かず、この年のシリーズのヤクルト主催ゲームは後楽園球場に代替して開催された。

その後、1992年・1993年の日本シリーズは学生野球をナイター開催とし、日本シリーズ(デーゲーム開催)の神宮開催が実現している。


[編集] 上田抗議に大杉の2発
ヤクルトと阪急(現在のオリックス)が共に3勝3敗で迎えた第7試合(10月22日)、ヤクルトが1-0でリードして迎えた6回裏、当時の4番・大杉勝男選手がレフトポールぎりぎりにホームランを放った。しかし、これが後楽園球場のレフトポールを切れてスタンドに入ったのではないか(即ちファールボールではないか)と、阪急の簑田浩二選手と上田利治監督らが抗議。

一時阪急は放棄試合も検討し始め、「審判があんな判定をするんだったら変えるべきだ」とまで要求してしまい、挙句の果ては金子鋭コミッショナーが阪急のベンチに説得するまでの事態に発展。「(コミッショナーである)ワシが頭を下げてもダメなのか!?」と言わせてしまうまでに上田監督は試合再開をかたくなに拒否し、結局1時間19分という日本シリーズ史上最長の中断時間を経て試合が再開された(この時点で上田監督は辞任を決意していたという)。

尚、この時の上田監督と金子コミッショナーの会話はテレビ中継の集音マイクで拾われており、そのまま放送されていた。

異様な雰囲気が続く中、大杉はベンチの中で「人の仕事にケチをつけやがって」と1人憤慨していたという。その後8回裏に「正真正銘のホームラン」を放ち、阪急に引導を渡した。大杉はこのシリーズのMVPを獲得している。

なお試合終了=優勝決定後、1塁側内野席で日本一を称えるくす玉が割られると同時に、リーグ優勝の時同様ファンがスタンドから飛び出し、広岡監督を選手共々胴上げする

光景が見られた。

— posted by サイト管理者 at 02:40 pm